アルコール中毒の35歳に仕上がるまで・4
苦節4ヶ月、50社以上落ちたのちに、リクナビNEXT経由でようやく契約社員の内定か出た。
あのときは本当にほっとした。
契約社員でもなんでも良かった。
やっと人並みに働ける。社会に復帰できる!
両親を安心させることができる。
両親はこの世の春とばかりに喜んでくれた。
仕事さえあれば、それを頑張るだけ。独り身になったんだし、働き盛り30代!思う存分働きなさい!と、背中を押してくれた。スーツやバッグ、靴を新調する仕度金まで出してくれた。
私の人生は、一度終わった。
なら、これからはあのどん底から立ち直る支えになってくれた両親のために生きていこう。
そんな風に思いながら、一方で酒は全く減らなかった。
実家は両親ともになかなかの酒好きで、冷蔵庫には常にビールやチューハイが冷やされていた。
私は何の見栄か、よほどのことがない限りそれに手を伸ばさず、わざわざ少ないバイト代から酒代を捻出しては、公園でぐいぐい飲んでいた。就職が決まってからは後ろめたさも消えたのか、自室でも平気で飲むようになった。
このころの酒量
ビール350×1
ハイボール350×1
チューハイ(ストロングゼロ)500×1
これで足りないときは、実家の冷蔵庫からチューハイを一本、二本と失敬しては自室で飲んでいた。
このころから、ほぼ毎日この量をベースに飲みつづけている。